鉢5CURRICULUM2026明治学院共通科目ガイドブックキリスト教の基礎の履修について にょうはち白金チャペルその伝統と歴史をみなさん全員に受け継いでいってもらいたいとわたしたちは願っています。 二つ目の理由は、大学における学問の営み自体が、そもそもキリスト教との深い関わりを根底に持っていることです。それが西洋起源の学問である場合には特にそう言えます。各専門分野の成り立ちや関心、発想の仕方、モチーフを根底まで掘り下げていくと、わたしたちは各学問の共通の基盤となっているキリスト教と出会います。どの学問分野であれ、自分の分野がキリスト教とどのような関わりがあるかを明らかにすることは、それ自体がキリスト教主義大学の重要な知的課題でもあります。 三つ目の理由は、キリスト教の教える真理が、人が人として生きてゆく上で決定的に重要であることです。人間は知的な生き物ですから、自分を取り巻く環境世界を知り、それを造り変えてゆきます。大学は、そのために知識、情報、知恵を蓄積し、探求します。知識も、情報も、知恵も力となり、人間と社会、自然環境に多大な影響を与えてゆきます。 しかし、例えば、人間による自然環境の破壊は、現在、取り返しがつかないところまで来てしまいました。わたしたちは、わたしたち自身が獲得し、行使する知識や、情報、知恵に対して、それが本当に人間を幸福にするものなのかどうかという区別がなかなかつきません。しかし、わたしたちは、「それには本当に隣人に対する愛があるか」という問いをクロスさせてみるとき、はじめてその知識、情報、知恵が人を活かすものなのか、そうでないかが、おぼろげながらわかってくるという経験をします。 人間にとって、根源的な問いを繰り返し新たに問われることは、たいへん重要なのです。たとえば、新約聖書は次のような言葉でわたしたちに問いかけます。 たといわたしが、人々の言葉や天使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘やさわがしい鐃ゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。(コリント人への第一の手紙第13章 1 〜 3 節)る第一の理由です。 明治学院大学は、ヘボン博士をはじめ、幕末から明治時代にかけて来日した多くの宣教師たちの熱心な祈りと、努力によってその礎が作られました。宣教師たちは、日本人と日本の将来のために、キリスト教の精神を根本に据えた高等教育機関で、神に仕え、人と世界に貢献できる人間を育ててゆくことが重要であると考えたのです。一人でも学生がいれば、その一人が人として育つために、彼らは時間と労力を惜しみませんでした。 この建学の精神は、明治学院創立以来、今日まで一貫して保たれてきた本学の良き伝統です。大学の姿は時代の変化と必要に応じて変わります。しかし、大学には一貫して変わらないものがあります。その変わらないもののひとつが、建学の理念であるキリスト教です。と同じである。たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあら
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