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12石井 友子月例研究報告日本人英語学習者にとって適切な「一語」とは何か 第二言語習得研究において語彙習得に関心が集まって、40年余りが経つ。近年では語彙知識の測定について精緻化を追求する研究が増え、それと同時に何を「一語」として数えるべきかについて、改めて議論がなされている。 語彙研究において語を数える単位は様々にあるが、主だったものはレマ(lemma)、フレマ(flemma)、ワードファミリー(word family)の3種類である。この中で、人称や時制、および名詞の単複による屈折変化のみをひとつの単語とまとめ、あらゆる派生形を別々の機会に学習する必要があると想定するレマは、学習者の語彙知識を過小評価するものである。一方、数多くの派生形を含めて一語とみなす、つまり学習者がそれらの派生形を目にしたときにはその意味が理解できるという前提に立つワードファミリー(Bauer & Nation 1993)には過大評価の懸念があるというのもまた、多くの研究者の間で共有された見解である。フレマはその中間的単位として近年提案されたもので、学習者が品詞を超えた知識を応用できることを想定はするが、同一の語形が複数の品詞にまたがって使われる場合を一語とみなすのみであり、派生形は別単語とみなしている。結果として、フレマが前提とする学習者の知識や能力は、ワードファミリーの場合と比較してはるかに控えめなものとなっている。 ワードファミリーは品詞や派生形に関する知識を学習者が持っていることを想定しているが、実際に学習者は必ずしもそのような知識を持ち合わせていない場合がある。例えばMcLean (2018) は、日本人英語学習者を対象にワードファミリーに括られる語群の知識を調査した結果、同じワードファミリー内でも語形によって認知度に大きく差が開くことを示し、ワードファミリーの使用は少なくとも日本人学習者を対象とする場合には適切ではなく、フレマを使用するべきだと主張している。 これに対して、Stoeckel, Ishii, & Bennett(2020)は、フレマの前提は果たして満たされているのか疑問を呈している。すなわち、例えば学習者が動詞としてのedit(編集する)を知っていれば名詞としてのedit(編集)を理解することに困難がないと言えるのかは定かではない。実験の結 果、学習者が少なくとも1つの品詞で知っている単語について、約半分のケースでしかもう1つの品詞での意味理解を確認することができず、フレマの前提が成立していない場合があることを示した。 しかしながら、この品詞をまたぐ意味の操作は一見単純なように見え、学習者がなぜ困難を抱えるのかは理解が難しい。その理由および教育的示唆を求めて、Ishii, Bennett, & Stoeckel(2021)では、学習者に対するインタビューを通じ、一つの語形を複数の品詞として文の中で意味を理解するために必要とされる知識や能力、および学習者が直面する困難について調査した。この調査は、Stoeckel, Ishii, & Bennett(2020)と共通の素材を利用し、以下のような対をなす文について日本語に訳すことを求め、それぞれにどのように考えてそれらの訳を導き出したのか、また何を難しいと感じたかについて聞き取りをした。

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