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研究所概要報告月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告語学検定講座報告公開講座研究プロジェクト報告研究業績12The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Arts池田昭光 ドイツにおける最大の外国人コミュニティとしてトルコ系住民の存在が知られている。この現象は、第二次大戦後西欧諸国での労働力需要を受け、旧西ドイツ(以下、西独と表記)での労働を目的とした滞在にその起源を求めることができる。トルコ系住民は1961年の西独=トルコ間の協定を期に急増し、1973年までほぼ継続的に増加した。1980年代には子弟の教育、移民集住地区、失業などが西独国内で問題に、さらには1990年代に外国人嫌悪の標的とされたことが知られている。 トルコ系住民をめぐっては、中東地域研究、ドイツ地域研究、移民研究など様々な領域で研究が積み重ねられてきた。それらの成果のうち、発表者はごく一部に目を通した程度だが、おおよその研究動向を把握するなかで、「トルコ人から見たドイツ現代史」については研究が手薄に思われた。とりわけ、ベルリンの壁に注目した場合このことが顕著に見える。1989年のベルリンの壁崩壊や、その後のドイツ統一プロセスは日本でも報道され、多くの人々に知られているが、それらはおおむね「ドイツ人の物語」として受け止められているのではないか。ところが、当時、壁の近くにはトルコ系移民が集住する地区があった。ならば、壁とトルコ系とを同時に視野に収める試みには可能性があると思われる。彼らにとって壁の崩壊やドイツ統一はどのような経験だったのか。本発表では、こうした背景と着想をもとに、報告者が初めて行った現地調査の一端を報告し、今後の課題を明確にすべく仮説的な視点の提起を行った。 調査は2023年3月の約一週間、ベルリンを対象に行われた。調査課題として、(1)冷戦期からベルリン在住のトルコ系移民へのインタビューと、(2)博物館を中心とするパブリック・カルチャーにおけるトルコ系をめぐる表象の観察を設定した。インタビューに際しては日本語=ドイツ語間の通訳を依頼した(トルコ語は未使用)。 課題(2)については、ベルリンの博物館における文化的多様性表象に関する意識的な試みが観察できた。その一例としてフンボルト・フォーラムが挙げられる。これは民族学博物館とアジア芸術博物館のコレクションを中心に展示を行う「博物館」だが、博物館を「越える」試みが追求されており、館の名称としても「博物館」の語が用いられていない点が目を引く。 同施設における中東・イスラーム地域の展示例では、ベルリンに暮らすイスラーム教徒の現在を伝えるものを見学できた。このセクションでは、ナイキ製のスカーフ(女性がスポーツを行う際に邪魔になりにくい配慮がなされている)や、LGBTのイスラーム教徒など、イスラーム教徒を一般的に扱うのではない、特色のある展示構成がなされていた。ただしこれらは「イスラーム教徒」の展示であり、そのなかに含まれているはずの「トルコ系」を明示する扱いはなされていなかった。一方ではベルリンに暮らす他者に焦点を当てつつ、他方ではその人口的比率から言って顕著なケースと思われるトルコ系に焦点が当てられないという、逆説的な一面があるといえよう。 課題(1)については、二名のトルコ系住民へのインタビューに成功した。うち一名につき、ベルリンの壁との接点のあったケースとしてここで言及する。この人物は1955年トルコに生まれ、月例研究報告ベルリンのトルコ系移民とドイツ統一:調査報告および課題設定の試み

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