研究所概要報告月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告語学検定講座報告公開講座研究プロジェクト報告研究業績13The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Arts1971年に渡独した男性で、劇作家・劇場支配人として活動してきた。自身の演劇活動を一種のソーシャルワークとしてとらえており、トルコ系住民の若者に自身の問題をとらえさせ、そこから作品作りを行ったこともある。ベルリンの壁崩壊時、彼は現場に赴き東ドイツ(以下、東独)からの人々を迎えている。演劇活動とあわせ、社会奉仕や他者との連帯への関心がうかがえる。 他方、この時期のトルコ系住民にとって壁の崩壊は「一種のビジネスチャンス」だったと、実際的な面についても述べた。それによれば、トルコ系住民は東独からの人々に食べ物を与え、出世払いでよいからと代金を受け取らなかったが、そこには、親切を施せばその後も客として店に来続けてくれるだろうという期待も込められていたという。インタビューは一度しか行えなかったが、それでも、このように、トルコ系住民からみた冷戦末期の様子がうかがえると言えよう。 ここで注意すべきなのは、ドイツ系内部での区別(西独出身か東独出身か)が意味を持つと、資料自体が示唆することである。インタビューでは、壁崩壊後、東独の企業家への支援が自治体からなされたが、東独の人々の目には、経済的な階層が同程度のトルコ系住民のほうが親しみやすく、西独の人びとが見せる、優越感を伴う傲慢な態度に辟易したとの観察も聞かれた。それゆえに、トルコ系住民と東独出身者との間での共同事業が発展した例もあったという。統一後ドイツにおける東西格差はしばしば言及されるが、そうした格差が顕在化するプロセスにトルコ系住民が登場する例として興味深い資料と言える。 以上、きわめて部分的な調査に過ぎないとはいえ、これらの資料からは、西独・東独・トルコ系の三者の間で、時に社会的・経済的関係が築かれ、時に隔たりが生まれるプロセスが生じていたのではないかという仮説的な視点を作ることができる。本発表の結論としては、これをひとまず「壁崩壊後ドイツの三者モデル」と名付け、今後の継続調査における足がかりとして提起した。本研究は科研費(20H05826)の助成を受けて行われた。
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