研究所概要報告月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告語学検定講座報告公開講座研究プロジェクト報告研究業績20The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Arts写真1「東京宣言文」作成者の特別座談会、1998年6月13日、韓国キリスト教歴史研究所、証言は池明観、呉在植、司会と質問は徐正敏(左から 呉在植、池明観、徐正敏、写真は韓国キリスト教歴史研究所提供) 本論文において、宣言の作成経緯解明にあたっては、1998年6月13日、韓国キリスト教歴史研究所が主催した特別座談会(筆者が司会進行を担当した)における池明観、呉在植の証言記録を一次的な資料として活用する。そして内容分析のためには、韓国語と日本語版の「東京宣言文」に基づき神学的分析を試みてみる。 「韓国キリスト者宣言」の作成経緯」 、『韓国キリスト教と歴史』、第9号、1998年9月(韓国キリスト教歴史研究所)、331-357頁(以下「宣言作成経緯の記録」);『韓国キリスト教歴史研究所ニュース』、1998年4月、1998年7月、第31-32号参考。 呉在植は1971年CCA-URM責任者として東京に滞在し始めた。東京の日本キリスト教会館に事務所が設けられ、渋谷に居所を定めた。一方、池明観は1972年10月、東京大学の招待を受けて日本に来た。両者とも当時の韓国の状況に深い懸念を抱いており、韓国の民主化運動に陰に陽に寄与してきた経歴を持っていた。池明観が呉在植のソウル大学宗教学科の大先輩という個人的な関係もあった。しかも当時二人の民主化運動に対する理念や方法論は、NCCKの路線、より合理的で説得力のある方法、すなわち日本や世界のキリスト教会とエキュメニカル運動体との国際的連帯による方法に拠るべきであるという点で一致していた。一部の海外韓国人が望んでいた過激で革命的な方式にはある程度距離を置いていた。三人の主導者の最初の集会で議論した最も重要な合意は、「東
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