研究所概要報告月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告語学検定講座報告公開講座研究プロジェクト報告研究業績47The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Arts鄭栄桓 報告では、関東大震災時の朝鮮人虐殺に関する研究を振り返った上で、近年登場した虐殺を否定する主張(「否定論」)について、工藤美代子『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』(産経新聞出版、2009年。以下、『真実』と略記する)を中心に批判的な検証を行った。 『真実』は次のような「暴動実在説」を唱えて虐殺を否定する。すなわち、震災当時、実際に朝鮮人は「摂政宮を暗殺しようとまで画策」しており、「そうした国難を回避するための戒厳令であってみれば、『朝鮮人虐殺』などといわれる筋合いは微塵もない。その意味では『虐殺はなかった』し、あったとすればそれは『虐殺』ではなく、国家の自衛権行使だといっていい」(270頁。以下、『真実』からの引用は頁数のみを記す)と主張する。つまり、本書の核心は、「朝鮮人を殺さなかった」という意味での虐殺否定論ではなく、「殺したが正当な殺人であった」とする虐殺の正当化論であるといえる。 『真実』は刊行以来少なくない政治的・社会的影響力を及ぼしてきたが、研究者からは本書の方法についての根本的な批判が示されている。例えば関東大震災時の朝鮮人虐殺問題を研究してきた山田昭次氏は、『真実』が9月2日から6日頃までに発行された『大阪朝日新聞』等の記事を自説の根拠としていることに触れて、当時の官憲も新聞に報じられた情報を、「暴動」の確証と見ていなかったことを指摘し、「官憲すら信用しなかった新聞記事に現われた朝鮮人暴動の記事」を根拠とする「工藤の見解は、無理を極めたものと言わざるを得ない」と批判した1)。 さらに、史料の読解や引用に関する問題点も指摘されている。『真実』が用いた史料を原典に遡り全面的に検証した加藤直樹氏によれば、本書の用いた史料には様々な「トリック」が施されているという2)。トリックの手口としては「引用史料の恣意的な切り取り」や、「原文を(略)と示さずにこっそり切り刻む」こと、さらには「原典が書いていないことを“参照”」する行為などが挙げられている3)。つまり、信頼性の不確かな新聞記事を用いただけではなく、それらの史料の解釈や引用における最低限の学術的なルールが守られていないとの批判がなされているといえる。 先行研究が指摘した問題点に加えて、筆者が確認した「トリック」の例としてはイギリス外交文書の引用と解釈の問題がある。『真実』では新発見の史料と銘打ち、イギリス国立公文書館所蔵の外交文書を用いている。例えば第四章において、工藤は「帝国ホテルの恐怖体験記」との見出しをつけ、「二人のアメリカ人旅行者が横浜で被災し、好奇心もあって東京へ向い帝国ホテルに投宿した。実際に彼らが見た現実がどうであったのかという実情がうかがえる」として、「帝国ホテルに宿泊することになったアメリカ人の記録」のうちの次の箇所を引用する(146−147頁)。 すなわち、二人の「旅行者」は品川に到着し、「【A】ここで4マイル先の帝国ホテルまで行ってくれるタクシーをつかまえた。/【B】『朝鮮人』と『赤』については説明する価値がある。過去数年の間に多数の朝鮮人が労働力として日本に流入してきた。また、日本の軍隊には、シベリアから帰国してボルシェヴィキの影響を受けた兵たちもいるといわれていた」(【 】内は引用者)。そして「3日、月曜日の夜10時20分頃に、ホテルの管理部からすべての部屋の灯り(小さなローソ2023年度明治学院大学みなと区民大学公開講座報告関東大震災時の朝鮮人虐殺と「否定論」の諸問題
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