研究所概要報告月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告公開講座語学検定講座報告研究プロジェクト報告研究業績50The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Arts京都大学名誉教授 池田浩士1. 私たちは、偶然の積み重ねによって生きている。もちろん、個々の出来事には根拠と経緯があり、それらの出来事がその瞬間に起こるのは、じつは偶然ではなく必然の成り行きなのだ。だが、例えば「きょう駅で偶然あの人と出会った」という言葉が示しているように、私たちがある体験をするとき、その多くは、私たちにとって偶然の出来事として、私たちに降りかかる。 その出来事は、そのままやり過ごしてしまえば偶然でしかない。けれども、私がそれに行為で応えるとき、それは偶然から必然に変わるのである。知人と駅で出会って、そのまま行き過ぎてしまえば、それは偶然の出会いに終わる。だが、その機会に駅前のカフェで語り合い、共同で新しい仕事を始めることになるとしたら、その出会いは、無くてはならなかった出会い、二人にとって必然的だった出会いに変わる。人間の「主体性」とは、偶然の出来事を行為によって必然性に変えることだ、と言ってもよいだろう。その主体性によって、新しい歴史の現実が始まる。 「大震災とボランティア」という今回のテーマの場合も、始めはすべてが偶然だった。1923年9月1日にあの地震がやってきたのも、それが大学の夏休み中で、その夏休みを利用して38名の東京帝大生が南洋群島の見学旅行をしていたのも、彼らが地震の翌日に東京に帰着したのも、すべて偶然だった。そもそも南洋見学旅行そのものが、欧洲大戦(第一次世界大戦)に参戦して勝利した日本が、敗戦国ドイツの植民地だった南洋群島の赤道以北を「委任統治領」として獲得した、という偶然の結果だった。廃墟と化し交通機関も途絶した東京に戻った学生たちは、郷里や近郊の自宅に戻れぬまま、とにかく大学にたどり着く。そして、数千人の人びとが構内に避難しているのを見たのである。そこから去ることもできた彼らが、そこに残って避難民の救援を手探りで始めたとき、その主体的な行為によって新しい歴史が始まった。彼ら以外の学生や若い二人の教授も加わったその「学生救護団」の活動は、日本の近現代史における「ボランティア元年」となったのだ。2. 「学生救護団」の活動は、10日後に主要な活動の場を上野公園に移した。そこでは、消失し壊滅した市内東部地域の数万の住民が避難生活を続けていた。学生たちは、それを一方的に支援するのではなく、避難民の自治組織を作ってその主体性に委ねるようにし、市当局に必要な施策を促しながら、彼ら自身は、食糧の調達や「尋ね人」センターの常設のほか、糞尿の処理というような必要不可欠だがなおざりにされている仕事に従事する。さらには、この震災で最大の惨事を引き起こすことになった大火災の実情を明らかにするため、消失区域と各火元を調べ、「帝都大震災火災系統地図」を作成する。これは新聞社によって注目され、高額で買い上げられ公刊されて、その後の活動の原資ともなった。だが、これらの活動を通じて彼らが得た成果は、もっと大きかった。 上野公園で糞尿処理に携わった彼らが、それを地面に埋めようとしたとき、役人たちは「恐れ多くも御料地に糞尿を埋めるとは」と強く難色を示した。上野の山は、現在でも「恩賜上野動物園」2023年度明治学院大学みなと区民大学公開講座報告大震災とボランティア──行為が現実を発見し、現実が行為に迫る
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