研究所概要報告月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告公開講座語学検定講座報告研究プロジェクト報告研究業績52The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Artsたのである。この戦争を「国民」が支えるための方策として国家が導入したのが、「勤労奉仕」というボランティア活動だった。(そもそも「満蒙開拓団」が、貧窮農民の移民をボランティアとして募るものだったのだ。)戦線に兵士を送り出す母胎であり、食糧生産の基盤である農村に向けて、農林省経済更生部が『農山漁村に於ける勤労奉仕』という宣伝冊子を刊行したのは、支那事変開始の3か月後、37年10月だった。それに呼応して、翌38年5月に、文部大臣が「学生生徒の集団的勤労作業」の必要に言及し、全国の学校で学生・生徒の「集団的勤労奉仕」が、まず夏休みに、次いで学校の正課として、実施されることになる。戦地に兵士を送っている家庭や戦死者を出した家庭の農作業を支援すること、神社や公共施設の清掃などが、勤労奉仕の主要な内容だった。 国家は、この強制的なボランティア活動に学生・生徒を動員しただけではない。返す刀で、自発的な本来のボランティア活動を切り捨てたのである。1938年2月、東京帝大セツルメントは、文部省と警察当局の圧力によって「自発的閉鎖」を余儀なくされ、14年間の活動を終えた。彼らの自発的な活動は、「集団的勤労奉仕」という名の強制的な動員、名目上だけ自発的な奉仕活動に取って代わられたのである。それだけではない。この奉仕活動を文字通り自発的に行なう精神が、それによって「国民」の中に養成されたのである。 「ボランティア」という語は、もともとはラテン語の volo(ウォロー:欲する、意志する、自発的に行なう)から発している。それを行なう主体を表わすのが、英語の volunteer(ヴォランティア)である。ボランティアの活動は、本来それをする人の自発性と主体性に基づくものであるはずなのだ。関東大震災の惨状の現場でその活動を始めた学生たちは、何をすべきかを自分で判断し、試行錯誤しながら力を合わせてその主体的な活動を行なった。その活動を糧として復興を遂げた国家は、その自発的な活動を禁圧して、「奉仕」活動のテーマと対象と方式を限定したうえで、「国民」の自発的な奉仕活動を動員した。「国民」は唯々諾々とそれに従った。 私たちのボランティア活動は、この歴史の上にある。それを必要とする人びとと出会ったとき、私たちがそのまま行き過ぎてしまうとしたら、その偶然は偶然のままにとどまるだろう。だが、そこで立ち止まって何かをするとしても、その私たちが、この場合はこういう活動をしなければならない、と決められるままにその出会いに応じるとしたら、それは「動員」であってボランティア活動ではない。私たちの自発性、自由意志は、ボランティア活動の中でこそ、もっとも貴重なのだ。
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