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研究所概要報告月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告語学検定講座報告公開講座研究プロジェクト報告研究業績53The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Arts田中祐介はじめに 筆者はこれまで、書記文化史の観点から近現代日本の「日記文化」に関する共同研究を進め、田中祐介編『日記文化から近代日本を問う──人々はいかに書き、書かされ、書き遺してきたか』(笠間書院、2017年)、同編『無数のひとりが紡ぐ歴史──日記文化から近現代日本を照射する』(文学通信、2022年)にまとめてきた。加えて2022年度からは国立歴史民俗博物館との共同研究として、視野を日記以外の手記、書簡、自伝、回顧録等の個人文書にも広げた、いわゆる「エゴ・ドキュメント」研究に着手している1)。本稿ではこれまでの研究成果を踏まえ、関東大震災から100周年にあたる今日において、主として個人文書としての日記・手記の語りから災害経験を考察する意義を問うとともに、その経験の継承のありかたを検討することとしたい。1. 鳥瞰(ロングショット)から虫瞰(ズームアップ)へ 関東大震災は1923(大正12)年9月1日の午前11時58分に発生した。地震規模はマグニチュード7.9であり、全壊・全焼住家は約29万棟、直接死と行方不明者の合計は約10万5千人に及んだ。そのうちの約9割が火災による焼死であった。ライフラインにも甚大な損害が生じ、多数の発電所や変電所が機能不全に陥り、一般家庭に配電が再開したのは9月5日の夜であった。東京市の約半数世帯にあたる24万戸に供給されていた都市ガスは、焼失を免れた約10万戸には9月末から部分的な供給が再開されたが、完全な復旧は年末を待たねばならなかった。上水道に関しても、被害が甚大であった本所・深川等では完全に通水したのは同年11月20日であった。鉄道に関しても、多くの停留場が全潰や破損、あるいは焼失し、全線開通まで1年半を要した区間もあった2)。このように被害状況を鳥瞰(ロングショット)することで、大枠から被害の規模を概観し、数量的にも把握することができる。 一方で、震災発生後の具体的状況や、被害の実態を知るためには、被災した当事者個人の経験に着目することが有用である。これを鳥瞰に対する虫瞰(ズームアップ)と位置づけ、震災の実相を知るための術としよう。作家による震災記も多く残されている3)なかで、ここでは実業家である鹿島龍蔵(1880−1954)の日記から震災発生時の状況を窺ってみたい。鹿島は東京市の上野で開催中であった院展と二科展の展示会場で大地震に見舞われた。鶯谷駅下車。院展に入り吉田白嶺氏等に会う。隣りの二科会に入り一巡見物し、梅原氏と小時談話してから出■様■■として休憩所で一休して居ると地震はじまる。初め可なりの上下動来る。〔中略〕激烈なる純水平動来り、館は烈風中の立木の如く盛んに東西に動く。此の時は最早逃る事は不可能と思った。〔中略〕油絵の額はバタン〳〵と落ちる。隣りの部屋に置かれた石膏の彫刻は台より落ちて微塵となる。立って居た人々はバタリバタリと石畳の上にすわり、女子供等は大抵観念の眼を閉じて居る。悽■■愴■■述べ難し。其れでも大事に至2023年度明治学院大学みなと区民大学公開講座報告日記・手記の語りから考える災害経験とその継承

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