HTML5 Webook
58/92

研究所概要報告月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告公開講座語学検定講座報告研究プロジェクト報告研究業績54The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Arts2. 災害経験を語り、継承する 災害による悲劇を忘れず、将来に繰り返さないよう予防するためには、当事者の経験を記録し、記憶に留め、後世に継承することが肝要となる。しかし時間の経過とともに記憶は薄れ、ともすると記録も埋没してしまう。日本の戦争経験を例にとれば、歴史学者の成田龍一は戦後日本において戦争経験のある人々が同様の経験を有する人々に語りかける「体験の時代」(1945年以降)、経験を有する人々がそれを持たない人々と交代しつつある「証言の時代」(1965年以降)、戦争の直接らずして罷■む4)。 地震は縦揺れから強烈な横揺れへと転じ、展示館が「烈風中の立木の如く」揺れ、会場の油絵の額が次々に落下し、彫刻は台座から転落して木っ端微塵となる。居合わせた人々は歩むこともできず、その場に座り込み、観念して瞑目する。このように地震の凄まじさと人々の経験した恐怖が個人の視点から生々しく描写されている。 田端の自宅に帰宅した鹿島は、夕刻から夜にかけて東京市を襲った大火災の様子についても克明に記録している。夜が刻々迫るにつれ南方の空は刻々に下方より紅色を呈す。全く暮れるに及んで午後見たる雪白の雲の峰は、全部紅蓮の雲の峰と化す。幾回となく屋根に登りて観察す。火事段々甚だしくなる。夕刻一度風やみ、夜となりて北風となる。但し強風にあらず。それでも之れ程になった火事は、増々猛威をふるうのみなり。家の南側の塀の東角より西角に至る間、一面の火色、天をこがす焔と云うのは此の事だと思う5)。  火災が猛威を振るい、風に煽られて延焼が広がる。炎は夜空を照らし、雪白色であった雲を「紅蓮の雲」に染めたという。鹿島は翌日の記録として震災後の混乱の中で流言蜚語が湧き起こる様子も留めており、「不逞鮮人が此の機に乗じて暴動を起した。火事が斯の如く大きくなりしも其の為めなり。猶今現に動坂に於て焼討を行いつゝあり、要心を要す。との事であった。其処で僕は極力其のあり得べからざるを話し」6)と記し、自身はその噂を否定したとも述べている。 鹿島の日記を収めた『天災日記』の編者である地質学者の武村雅之は、その専門性から「震源での断層の動きや余震活動、さらには揺れの強さと地盤の関係」を研究する過程で「震災を生きた人々に興味を持つようになり、被害統計などの数字だけでは大災害を実感できないことに気がついた」という7)。その上で「研究で明らかになった過去の地震の揺れの強さや被害の様子を背景にして、人々の手記や日記を読むことで、そこに生きた人間を蘇らせようという試み」を思いついたと述べる。武村の気づきも、虫瞰的視点から歴史を明らかにする意義を示すものと言える。

元のページ  ../index.html#58

このブックを見る