研究所概要報告月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告語学検定講座報告公開講座研究プロジェクト報告研究業績55The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Artsの経験を持たない人々が多数を占める「記憶の時代」(1990年以降)に推移すると整理する8)。「記憶の時代」を迎えてすでに30年以上を経過した今日(2023年)は、戦争経験者が更に少数化したという意味において、当該時代の限界点を迎えつつあると言えよう。経験の当事者がいない時代には、記憶の継承は別次元の困難さを抱えることになる。成田は「記憶の時代」の次の段階に「歴史化の時代」を想定しているが9)、発生から100周年を迎えた関東大震災に関していえば、すでにほぼそのような時代に進入していると言える10)。 ただし、忘却は必ずしも時間の経過と並行してのみ進行するものではない。長崎の原爆投下により被爆しながらも救護活動にあたった医師博士の永井隆は、自身の著作において、長崎の人々が抱く忘却への恐れを以下のように描写している。それにしても広島はたいそう宣伝して世界的に有名になったのに、長崎は黙っているから世界の人々から忘れられていると言い出す人があった。するとローマに長く留学していた浦上天主堂の中島万利神父さまが口を開いて、「大丈夫ですよ、世界中のキリスト教徒は長崎を忘れはしません。なぜならここは二十六聖人を初め多くの殉教者を出した聖地であり、今もなお多くの信者が犠牲と祈りとを黙々とささげていますから……世界中の人々がやがて時が来れば、豊かな愛の手を差しのべて参りますよ」──それを聞いて、みんな明るい顔になった11)。 引用の冒頭で言われる広島の「宣伝」の多寡はここでは問題にしない。その場にいた全員が「明るい顔」になったのは、耐え難い苦しみや喪失の経験が当事者以外にも永く記憶され、人々が被災者に想像力を働かせ、寄り添い、理解しようと試みることへの期待と安心からに他ならない。 忘却に抗うための方法の一つは、災害経験について語り続けることであろう。「阪神大震災を記録しつづける会」の活動は、「記録しつづける」の文言が示す通り、手記執筆により阪神大震災の経験を語りつづける試みである。同会は震災発生の約1ヵ月後となる1995年2月中旬より手記の公募をはじめ、同年5月に第1集を出版した。以来、基本的に毎年1冊ずつ刊行し、2005年刊行の第10巻までで投稿総数1,134編(うち外国人107編)採用手記数434編に至った。その後、10年ぶりとなる20年目に刊行された第11集『阪神・淡路大震災 わたしたちの20年目』(2015年)でも14編を採用した。 2023年には事務局長の高森順子が『震災後のエスノグラフィ 「阪神大震災を記録しつづける会」のアクションリサーチ』(明石書店)を出版し、同会のこれまでの活動を総括した。同書では、被災者個人が自身の経験を手記の形式で語り、時間を経て経験を語り直すことで、内容はもとより、書き手の文体や人称等にも変化が現れることが指摘される。時間の経過とともに過去への向きあい方も変化するとして、個人の記録を読み、思い出し、新たに文章を重ねてゆくことを通じて、記憶
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