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研究所概要報告月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告公開講座語学検定講座報告研究プロジェクト報告研究業績58The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Artsとがある。先にも紹介した「阪神大震災を語りつづける会」事務局長の高森順子は、東日本大震災後の会の場で、手記執筆者のひとりから「今までこの会の活動に足らなかったのは、教訓を伝える、ということじゃないですか。結局、誰一人死なないためにはどうすればいいのか、そういう一番大事なエッセンスを抜き出さないといけない。手記集の要約をすることが必要なんじゃないですか」と、後世に教訓を伝えるために手記集の「要約」を求める声があったことを振り返っている21)。この意見に対して高森は、思わず「それは違うんじゃないかと思います」と述べ、「私は『記録しつづける会』の手記がどういう内容で、どういう意味をもっているか、考えたんです。私は、手記というのは一つひとつ個別具体的なもので、他の手記との共通項を探して、大事なところだけまとめるものではないし、そういう風にまとめられないのが手記の一番の良さだと思うんです」と答えたという22)。高森の反論は、大きな声にまとめ上げる過程で小さな声を抑圧し、聞き逃すことへの危惧に基づくものであるとも言えよう。 個人の小さな歴史を回復する取り組みとして、『わたしは思い出す』(NPO法人記録と表現とメディアのための組織、2023年)は極めて示唆深い。AHA![Archive for Human Activities]の世話人である松本篤が中心となり、東日本大震災から10年の節目に開催されるせんだい3.11メモリアル交流館での展示企画のため、震災前後に生まれた子どもの育児者を対象に10年を振り返るワークショップを実施した。本書は、そのワークショップに参加した「かおり」(仮名)さんの第一子である「あかね」(仮名)の出産(2010年6月11日)からの11年間の育児日記に基づく。日記本文の全文掲載ではなく、かおりさん自身の日記の再読による、過去の記憶と想起に基づく語りが本文を構成する。 同書は「〈震災〉ではなく〈わたし〉を主語にした4018日の点描、想起と忘却の生活史」と謳われる13)。「〈わたし〉を主語にした」とあるように、目次に立項される文言にも「わたしは思い出す、涙は意外と出なかったことを」「わたしは思い出す、一〇〇CCの目盛りを」「わたしは思い出す、名取のトイザらスで買ったベビーカーを」と、すべて「わたしは思い出す」が冠される。 同書中、「わたしは思い出す、14時7分を」の見出しからなる文章は、2011年3月11日の記録である。14時46分に発生した大地震を宮城県仙台市の自宅で経験したかおりさんは、午後早い時間に同県の名取エアリで買い物をし、その後、隣接するトイザらスでムーニーマンのおむつを買った。そのレシートに打刻されたのが14時7分であった。「もう少し買い物を続けていたら、どこかで津波に遭っていたと思います」と語るかおりさんは「今もそのレシートを、いつも使っている手帳に入れてお守り000代わりに持ち歩いています」という24)。ここでの震災経験は、14時46分に収斂する大きな「東日本大震災の語り」ではなく、自身の被災経験において14時7分という時刻が特別な意味をもつ〈わたし〉個人の語りとして構成されていると言える。 『わたしは思い出す』の編者である松本篤は、同書の狙いについて以下のように述べる。地震に遭った人は、3月11日という日だけを生きているわけではない。皆それぞれに、二

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