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研究所概要報告月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告語学検定講座報告公開講座研究プロジェクト報告研究業績59The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Artsおわりに 本稿では歴史を語る個人の記録に着目し、主として日記・手記の語りから災害経験の記録の意義を考え、その継承のあり方を検討してきた。個人視点からの災害記録は、数量的把握では分からない災害の実相を教え、それを経験した人間の姿を浮上させる貴重な史料である。災害による悲劇を忘れないために、また将来の災害を予防するために、災害経験の記録と記憶を継承することは肝要である。時として個人の経験──小さな歴史は、強い力により大きな歴史の語りに飲み込まれることもある。しかしどれほどの大災害であっても、それを経験したひとりひとりの人間の生と死は代替不能な一回性のものである。災害経験の忘却に抗い、かつ経験者の個人性を回復するための手かがりは、本稿で取り上げた事例に即せば、災害経験を個人の経験として語り続け、あるいは災害を象徴する事象を別の観点から照らし、異なる語りの枠組を提示する試みに含まれていると言えよう。 なお本稿では地震や津波といった自然災害に加え、戦争災害の事例も取り上げた。今日の世界に目を転じれば、終わりの見えない戦争は日々新たな犠牲をもたらしている。国内では2024年1月1日に「令和6年能登半島地震」が生じ、地震と津波により甚大な被害が生じた。本稿で取り上げた災害経験の記録と継承の主題は、現在進行形の状況に即応しながら考究すべき喫緊の課題であるとも言える。【注】1)国立歴史民俗博物館共同研究(基盤研究)「近代東アジアにおけるエゴ・ドキュメントの学際的・度と同じ日はやって来ない、かけがえのない毎日を過ごしている。私は、我が子を産んだ〈あの日〉を起点にしたかおりさんの四〇一八日を点描することで、地震が起きた〈あの日〉へと収斂しようとする大きな物語の力に抗おうと試みた。「隔たり」や「分からなさ」を保ちつつ、遠く離れたまま、共感とは異なる方法で粛々と積み上げられたテキストは、結果的に三〇万字あまりとなった25)。  「大きな物語の力に抗おうと試みた」と述べる松本は、3月11日が2010年6月11日に生まれた長女あかねの月誕生日であることにも着目する。「多くの人々に不幸が訪れた〈11日〉が、我が子の成長を祝う〈11日〉でもあったこと。そんな状況に身を置いた人間の軌跡を辿り直すことで初めて、幾多の命を悼む日付としての〈3・11〉の意味に、あらためて立ち還ることができるかもしれない」26)。3月11日は大災害の発生日であると同時に、その人自身にとっての個別の意味を有していたはずである。そのことを熟考することで、「大きな物語の力」に抗い、〈わたし〉が主語となるような個人性を回復する可能性を探ることができると言えよう。国際的研究」(2022年度から2024年度まで)。

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