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研究所概要報告月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告語学検定講座報告公開講座研究プロジェクト報告研究業績80The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Artsプロジェクトメンバー:篠崎美生子、渡辺祐子、洪潔清、朱海燕 日本の三大中華街のうち、長崎の華僑コミュニティは最も古く、長崎が対中貿易の舞台となった1500年代末期までその歴史をさかのぼることができる。しかし、近世までの「唐人」とは異なり、近代以降の「長崎華僑」は、しばしば差別にさらされねばならなかった。 たとえば、佐多稲子「樹影」(1972)には、盧溝橋事件の際に華僑の家々からひとりずつ警察に留置された出来事や、戦後の被爆ナショナリズムの中で疎外された華僑の存在が示唆されている。一面では長崎の街にすっかり溶け込んで生活しながらも、一面では排除されて過ごしてきたのが、「長崎華僑」であったといえよう。しかし、このような事情は、「多文化共生」「多文化交流」の美名のもとに、学問上も十分に顧みられているとは言えない。 本プロジェクトは、歴史と文学ほか多方面の記録からたどるとともに、事情をよく知る方にインタビューすることで、「長崎華僑」の近現代を明らかにすることをめざすものである。 第1年目の2023年度は、長崎市出身の3名の方にインタビューを行うことができた。 藤井のり子氏(横須賀市)には、原爆を経た後の長崎市民の生活が過酷であったこと、長崎市周辺地域でも、中国人、朝鮮人が日本社会に溶けこんで生活していたケースがあったことなどを伺った。 陳東華氏(長崎市)には、幕末以来の華僑、華人コミュニティの成立と発展の歴史を詳しく伺うことができた。とくに、泰益号(貿易商社)や、華僑子弟の教育機関である時中小学校や、唐寺(崇福寺、福済寺)、福建会館(福建出身華僑の交流の場)などを介して、華僑が何重ものネットワークで結びついていたことが、興味深かった。 原爆を10歳で経験した大原賢子氏(長崎市)には、華僑、華人の経済が戦後どのように変化していったかを伺うとともに、中高時代の同級生でより深刻な被爆体験を持つ方々の消息なども伺うことができた。日中戦争や大陸での内戦を経験し、台湾経由で来日したというご夫君から、非常に視野の広い歴史観を伺うことができたことも、我々の研究にとって大きな収穫であった。 尤も、諸氏から学んだ「長崎華僑」像には、少なからぬ齟齬もあるように感じられる。その理由を明らかにすることを、2024年度の目標としたい。 このほか、篠崎は「被爆地「長崎」 差別の輻輳─佐多稲子「樹影」を中心に─」を『日本近代文学』第109集(2023.11)に発表した。研究プロジェクト報告(中間)長崎華僑の近現代──排除と融和をめぐって

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