研究所概要月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告語学検定講座報告研究プロジェクト報告研究業績序 福音書に従えば、イエスは敵対者と「安息日」(出20:8-11;31:13-17他参照)について様々な論争を行う──「麦穂摘み」(マコ2:23-28並行マタ12:1-8;ルカ6:1-5)、「手の萎えた人の癒やし」(マコ3:1-6並行マタ12:9-14;ルカ6:6-11)、「腰の曲がった女の癒やし」(ルカ13:10-17)、「水腫の人の癒やし」(ルカ14:1-6)、「ベトザタの池のそばでの癒やし」(ヨハ5:1-18)、「安息日の教え」(ヨハ7:21-24)。また、イエスは安息日に奇跡を行い、これをきっかけに一部のユダヤ人がイエス殺害計画を立てる(マコ3:6並行マタ12:14;ルカ6:11)。これらの背景には、当時のユダヤ人の安息日重視がある(一マカ2:29-38参照。さらに、ヨセフス『ユダヤ古代誌』14.226及びタキトゥス『同時代史』5.4参照)。実に、安息日規定の遵守は、割礼規定及び食物規定の遵守と並び、ユダヤ人を他の民族から区別し、目立たせる重要な特徴の一つであった。 他方、イエスとほぼ同年代のユダヤ人キリスト者パウロの手紙に「安息日」は現れない。なるほど、コロサイ書の2章16節には「安息日」が現れる、との反論があるかもしれない。しかし、この手紙は現在、多くの研究者が主張する通り、偽パウロ書簡である。あるいは、ロマ書14章5-6節「ある日」「特定の日」及びガラテヤ書4章10節「日々」には安息日が含まれる、との反論があるかもしれない。しかし、これらの箇所は安息日を特別に問題としているわけではない。すなわち、パウロは、手紙の中で律法遵守の問題を論じ、その中で具体的に割礼規定や食物規定に言及することがあるにも拘らず、安息日を具体的に取り上げて言及することは一切ないのである。 しかし、どうしてパウロは手紙の中で安息日規定に言及しないのか。私たちはこの問いに対して、安息日規定が、割礼規定や食物規定とは異なり、キリスト者の間に一致と繋がり(の機会)をもたらすからと答えたい。16The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Arts吉田忍会堂礼拝に出席するキリスト者 パウロの手紙は、彼が各地に建てた、主に異邦人キリスト者から成る教会に宛てられた。にも拘らず、手紙の内容を理解するには、ユダヤ教聖典の知識を必要とする箇所が多い。とりわけ、律法遵守の要不要を論じる箇所(たとえば、ガラ3:1ff;ロマ3:27ff.)を、ユダヤ教聖典の知識なしに理解することは不可能である。パウロが自分の議論を理解してほしかった、そして納得してほしかった相手は、実は、宛先教会にいる、ユダヤ教聖典の知識に疎い異邦人キリスト者ではなく、宛先教会に現れた、ユダヤ教聖典に十分に通じていた論敵であった、というのは考えにくい。パウロが説得したかった相手はやはり、宛先教会にいる多くの異邦人キリスト者であった、と考えるのが適当である。しかし、キリスト者となる前にはユダヤ教徒ではなかった異邦人(ガラ4:8;一テサ1:9-10参照)は、パウロの手紙を理解できるだけのユダヤ教聖典の知識をどこから獲得したのか。パウロの時代には、ユダヤ教聖典を所有していた個人は、ユダヤ人であれ異邦人であれ(全くとは月例研究報告パウロと安息日
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