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研究所概要月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告語学検定講座報告研究プロジェクト報告研究業績17The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Arts言えないにしても)いなかったし、誕生間もないパウロ教会がユダヤ教聖典を所有できていたとも思えない。そうであるからには、異邦人キリスト者は、ユダヤ人キリスト者と同じく、会堂においてユダヤ教聖典の知識を獲得していたに違いない。安息日の会堂では礼拝が行われたが、律法教育も行われていたのである(ヨセフス『アピオーンへの反論』2.175参照)。 パウロの時代に、キリスト者は会堂と繋がっていた。パウロ以後、すなわち1世紀の終わりにもユダヤ人キリスト者が会堂と結びついていたことは、ヨハネ福音書9章22節が証言している。この箇所に従えば、ユダヤ人キリスト者は、キリスト者となった後もそれまでの慣習を守った、つまり、会堂との関係を自ら切る──それまでの人間関係を精算する──ことはなかったのである。そうであれば、かつては「神を畏れる者」(使13:16, 26参照)であった異邦人キリスト者も、キリスト者となった後に会堂との関係を切ることはなかった、と考えるのは適当であると思われる。とすると、「神を畏れる者」ではなかった異邦人がキリスト者となったとして、それでも以前と変わらず会堂と全く無関係にいた、とは考えがたい。異邦人キリスト者は、キリスト者となったからには、つまりユダヤ教の一派──パウロの時代には、ユダヤ教とは異なる宗教としてのキリスト教はまだ成立していない──に属する者となったからには、当然のこととして会堂に結びついた、と考えるのは適当であろう。 キリスト者が会堂と結びついていたとの想定は、安息日をめぐる記事が福音書に収められているという事実によっても支持される。当然のことながら、安息日に関わるイエス伝承が教会によって受け継がれ、やがて福音書に収められたのは、その伝承が教会にとって重要であったからに違いない。そして、安息日に関わるイエス伝承は、安息日に何をすべき(ではない)かを問題とするにしても(例えば、マコ3:4;ヨハ7:23)、安息日自体を決して否定しない。従って、安息日に関わるイエス伝承は、キリスト者が安息日規定を望ましい仕方で遵守するための、いわば「処方箋」として伝えられたと考えられる。福音書時代のキリスト者は安息日を尊重し、安息日規定をイエスの教えるかたちできちんと遵守しようとしていたのである(例えば、マコ2:27-28;3:4)。そうであるからには、安息日に関わるイエス伝承においては、イエスが安息日に会堂に現れることを問題視していない、むしろ当然のことと語っているのだから(マコ1:21;3:1;6:2;ルカ4:16;13:10他)、この伝承を伝えたキリスト者たちにとっても、さらに、この伝承を福音書に収めた記者およびこの記者が所属する教会にとっても、安息日における会堂出席は当然のことであったに違いない──多くの研究者の見解に従って、4人の福音書記者(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)はいずれも異邦人キリスト者であった、つまり、新約聖書に収められている4つの福音書が異邦人キリスト者を主体とする教会の中で生み出されたとすれば、異邦人キリスト者は安息日を守り、安息日には会堂に集っていたに違いなく、とすると、当然、ユダヤ人キリスト者も会堂に集ったことであろう──ここから、キリスト者の礼拝が「週の初めの日」、つまり日曜日に行われるのは(一コリ16:2;使20:7参照)、イエスがその日に復活したと信じられたからであるにしても(マコ

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