研究所概要月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告語学検定講座報告研究プロジェクト報告研究業績22The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Arts(Priesterschrift:祭司資料)は、バビロン捕囚の苦しみを民と共にしたといわれます。古代バビロン帝国においても「神の像」という考えがありましたが、それは王とか権力者といった特権的な人物に限定されていました。これに対し、著者Pは、人間が神によって創造されたということは、どの人間も「神のかたち」として創造されたということであり、一人ひとりが、なんびとにも侵しえない尊厳性や生きる権利をもっている、と明言します。これは「人権宣言」といえるのではないか。人間一人ひとりの侵しえない尊厳性を強調する「神のかたち」としての人間理解。特に、患者の権利の課題、障がい者の尊厳と個性を侵害する優生思想、自死、死刑制度などの問題を考える上で、このような聖書の人間理解は重要な視座を私たちに提示しています。 さらに創世記では、「……海の魚、空の鳥、地を這うすべてを支配せよ」と「神のかたち」として創造された人間の課題が呼びかけられています。神の創造の業である自然界のいのちを「支配する」務めを、人間はまさに「神のかたち」として委託されているというのです。ここで、「支配する」と訳されている「ラーダー」は、弱くされ小さくされている存在と連帯して共存をめざす平和的支配、従って自然のいのちの世界に対する管理責任をさします。 最後に、「神は彼らを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ(カーバシュ)』」と、神の祝福として新しい世代の誕生が語られています。絶望の闇におかれた捕囚の民に対して、神の約束の希望が未来世代の新しいいのちの誕生の祝福として語られています。この言葉は、新しい世代への倫理的責任という呼びかけをも含んでおり、「神のかたち」としての人間が未来の世代への責任を「いま、ここで」担うべきことを意味しています。いのちの問題は、現在、そして、未来の世代倫理の課題として受けとめる呼びかけだといえます。 イエス・キリストは新しい宗教ではなく「新しいいのち」を開始されました。イエスによって福音の宣教へと遣わされた弟子たちは、キリストにあって新たなるいのちが始まったこと、キリストが永遠のいのちであり、成就であり、復活であり、この世の喜びであることを宣言しました。「私はいのちそのものである」(ヨハネ11:25)とのイエスの宣言が根底にあります。キリストの福音、つまり、キリストの無条件の愛にふれて他者と共に生きることから、多様性のなかにあって共に生きるいのちこそがキリスト教会のミッションであるといえます。4. おわりに 『苦海浄土』の著者石牟礼道子は、水俣・不知火海をエーゲ海に匹敵する美しさだと表現していますが、風光明媚なだけではありません。太古より何百種類もの魚たちが産卵の時期になると、卵を産み付けに水俣湾までやってきた。それほど稚魚が生育するには安全で美しく栄養が豊富な環境でした。そのように多様な生物のいのちを育んできた恵みの海に、人間は大量の水銀を40年近くも流し続けたのです。 筆者は水俣で胎児性水俣病患者とたまたま出会い、地域における彼女・彼らの居場所づくりのお
元のページ ../index.html#26