研究所概要月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告語学検定講座報告研究プロジェクト報告研究業績24The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Arts山本りりこ 19世紀フランスの哲学者であるジュール・ラニョー(Jules Lagneau, 1851-1894)は、アラン、ジョルジュ・カンギレム、シモーヌ・ヴェイユ、メルロ=ポンティといった後世の哲学者のテクストのなかでたびたびその名前を挙げられる一方で、国内で体系的な研究はなされておらず、その思想は断片的にしか知られていない。こういった現状の背景には、ラニョーがまとまった著作を残していないことが影響していると思われる。 ラニョーは1851年にロレーヌ地方のメスに生まれ、1875年にアグレガシオンに合格し哲学教授資格を得て以降、亡くなる前年にあたる1893年までリセ(日本でいう高校にあたる)での哲学教育に従事した。その間に刊行されたものは道徳的行動のための同盟(Union pour Iʼaction morale)に寄せた会則(■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■)のみであり、『形而上学・道徳雑誌』(■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■)に掲載された「スピノザについての覚書」や、元生徒らの講義ノートをもとに編纂した『名講義集』、ラニョーのメモを集めた『断片集』等はラニョーの没後に刊行されたものである。 研究報告会で扱った「知覚についての講義」を収録する『名講義集』は、編纂にラニョーの元生徒であるアランやレオン・ルテリエらがかかわり、複数の生徒のノートを突き合わせ、当時の授業を正しく伝えるものであるか、細かな検討を経て刊行された講義録である。ラニョーが生前まとまった著作を残さず、リセでの教育活動に注力していたことに鑑みれば、この講義集がラニョーの哲学的思索を後世に伝えるものとして重要であることは言うまでもない。この講義集には「知覚についての講義」のほかに「判断についての講義」「明証性と確実性についての講義」「神についての講義」が収められている。今回の報告会で「知覚についての講義」を取り上げたのは、この講義が一方では精神の能動的で自由なはたらきを論じるという点でほかの講義との共通点を有するものでありながら、他方では‘知覚’というきわめて身体的な項において精神のはたらきを論じるという点で、他の講義にはない特異性を有する講義でもあるためである。 研究報告会では、‘知覚’という身体的な項において精神のはたらきがどのように論じられるかを明らかにすることを目的とし、視覚による奥行き(距離)知覚がいかにして成立するのかが分析される箇所を中心的に取り上げて発表した(知覚の分析には、錯視や図の立体視などの具体的な事例が挙げられ、日常的な経験を反省的に分析することで抽象的な思索へと至る、思索の道筋も示される。こうした思索の方法もラニョーの授業から生徒たちが学び、のちに自らの哲学のなかで実践していったことがらであるだろう)。そして反省的分析をとおして、視覚には精神の自由で能動的な判断の存在が不可欠であるとラニョーが構想していた点を指摘した。ラニョーが視覚論において‘予見’(prévoir)という語を用いるのも、‘見る’(voir)という語では捉えきれない、知覚への精神の能動的な参与の意味合いを強調するためであったと思われる。また、身体的な感覚印象を精神のはたらきによって ‘予見’するはたらきは、身体と精神のあいだに一種の協働関係が存することを示唆している。これらを踏まえて、ラニョーの知覚論には身体か精神(魂)かという単純な心身二月例研究報告ジュール・ラニョーの視覚論における身体と精神の関係について
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