研究所概要月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告語学検定講座報告研究プロジェクト報告研究業績25The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Arts元論的な枠組みにはおさまりきらない部分があること、および知覚は単に受動的なものではなく身体性と知性が統合される場として位置付けられることを結論づけた。 以下に、報告会で使用した資料の一部を示す(尚、以下に示すラニョーのテクストはすべて拙訳)。1) Q:視覚は何に基づいて奥行きや距離、方向を把握するのか =三次元的な視覚はなぜ可能なのか Ex: 描かれた立方体の図は規約的には二次元であるが、なぜそれを三次元的に(立方体として)理解するのかA: ・三次元的知覚は「運動」による「予見(prévoir)」によって成立する。 ・ 視覚的延長はわれわれがそれを踏破したら抱くであろう感覚印象(sensation)に基づき理解される。実際には、どのようにして視覚によって直接的に奥行きを、すなわち距離をとらえることができるのか?次のことは明確である。見ている対象とわれわれとが遠く離れていると思われるとき、それは触覚とは関係のない判断であり、その判断はある触覚の感覚印象が、ある運動の条件のもとで獲得されうることを示している。とにかく、事物のある様相に基づいて、触覚、聴覚、嗅覚、味覚、そして視覚それ自体に生じるであろう変化を、私が身体をある方向に向けて動かすときに予見することである。わたしが見ている色や形それ自体は、ただ色の並置や画家が平面上に正確に表現しうる線の多様性を示すにすぎない。視覚的延長の奥行きとは、わたしがこれらの形を、踏破(parcourir)する距離のしるし(signes)として解釈することを習得し、仮にそれらを踏破したら抱くであろう感覚印象として解釈することを前提としている。われわれはみることを習得せねばならず、また、運動をとおして習得せねばならない。(Jules Lagneau, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ PUF, 1950, p.148)・ 図における線や形そのものが直接的に奥行きをもつわけではないが、それらを身体的感覚印象の記号として解釈する(=予見)ことで奥行きの知覚が成立する (Ex:立方体の線分ABは指でなぞったらこのくらいであろうetc、という感覚印象を予見する→描かれている対象に奥行き距離の感覚が補完され、三次元的知覚が可能になる)・ 身体経験をもとに対象を判断する精神のはたらきにより、距離や奥行きの知覚が構築されるたしかに、われわれは目を開けばかならずなんらかの延長を目にすることができる。
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