研究所概要月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告語学検定講座報告研究プロジェクト報告研究業績26The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Artsこの意味で、延長の知覚は原初的で本性的なものであるということはできる。しかしこうした知覚は、精神がどんな働きもせずに、ただ感覚に自らを委ねるだけで得られるものだという意味で本性的であるわけではない。実際、われわれがその諸次元の総体においてそれを踏破することなしに、どうして面の上の延長を知覚することができるだろうか。〔中略〕面の認識そのものについて考えてみよう。面は運動の可能性の総体として理解される。つまり、これらの運動が描くであろう次元の体系としてのみ解釈されうる。面における延長とは、こうした面の諸点をつなぐ位置関係の体系でなければ何であろうか?しかしそうであれば、これらの位置は、もろもろの点を結びつける観念的な線を実現する運動に依らずして、いかにして決定されうるのか。面の上の距離もまた距離であり、それを知覚するにはわれわれが以後それを表象し踏破できるよう、〔あらかじめ〕踏破しておかねばならないものである。(Jules Lagneau, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ PUF, 1950, pp.148-149) →・感覚印象を予見することで、身体的運動を抽象化した認識を得る = 身体的な感覚に基づいて抽象的な内容へと至るプロセスを措定する(運動の可能性の相対としての面→幾何学の面の構造理解へ)2) Q:距離や奥行きにかんする知覚では、具体的にどのようなものがしるしとなるかA:色が、距離や凹凸を把握する一助となる (Ex:レリーフの例/描かれた図形の凹凸)距離の知覚には、凹凸の知覚が結びついており、われわれは影にしたがって、特に対象の認知にしたがって判断するものである。たとえば、仮にわたしが下から見られたピラミッドの本体のデッサンを形作る平面の直線[四角錐の図形]をみるならば、それらの線が表象する立体について私が形作る構想にしたがって、わたしは立体感や窪みを望むように見ることができるのである。(Jules Lagneau, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ PUF, 1950, pp.154-155)・レリーフの例と図の例では、影の有無に差があることに注目 →色の差異によって対象と対象を取り巻く環境とを総合的に判断する3) Q:知覚的判断はいかにして可能になるか A:習慣によってしるし(=判断材料となるもの)を読み取ることができるようになる
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