研究所概要月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告語学検定講座報告研究プロジェクト報告研究業績28The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Artsわたしが外的な対象を知覚するとき、わたしは受動的な表象を能動的な表象によって解釈するとは思われず、むしろこうしたはたらきは無媒介的で、直観的なものであると思われる。知覚とは、見かけ上は無媒介的な直観である。精神とは、それが能動的であるとき、受動的にみえる。知覚の能動的な側面を、精神は概して意識しない。しかしながら、知覚の活動的な特性がはっきりと現れる場合がある。それは精神がみようとしているとき、きこうとしているときである。しかし、精神がみるときあるいはきくとき、能動的な側面は消失する。(Jules Lagneau, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ PUF, 1950, p.133) → 知覚は一見無媒介的なものに見えるが、知覚の背後には精神の能動的なはたらき(判断)が存在する*ラニョーは精神の能動的なはたらきを強調すると同時に、場所を占める身体/感覚印象という身体的感覚も考慮しながら論を展開する …精神と身体の一種の協働関係を示し、心身二元論を乗り越えようとする論といえる …知覚は、単に受動的なものではなく身体性と知性が統合される場と位置付けられる
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