HTML5 Webook
40/86

研究所概要月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告語学検定講座報告研究プロジェクト報告研究業績36The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Arts1968年時点での下郡沼・名鰭沼(涌谷町史編纂委員会編『涌谷町史 下』涌谷町、1968年、474頁〜475頁所収の地図より)※この後、両沼とも干拓され、現存せず  御猟場之義ニ付願    (下郡沼の所在地および面積に関する記載省略)右ケ所、旧藩治中ハ冬時鴻雁之類夥多数棲息シ、之レガ為メ大ニ沼池ノ荒蕪ヲ防グノ効アルヲ以テ、其当時之レヲ禁猟シ居候所、御維新後ハ該制廃シ乱撃極リナク、年ヲ追フテ諸鳥棲息ノ数ヲ減シ、随テ漸次沼池荒蕪シ、今日ト相成候テハ既ニ旧昔々観ナク、遠カラスシテ用水ノ欠乏ヲ来スノミナラズ、春夏漁業之障害トモ相成ルノ恐有之候間、此際(平出)皇室ノ御猟場トシ、人民ノ禁猟場ト御治定罷成候様御取計被成下度、尚漁業丈ハ冬季ヲ除クノ外、従来之通リ相営ミ度、一村人民ノ願望ニ付、卑職之レヲ代表シ、此段奉願候也  明治廿五年七月廿六日    宮城県知事船越衛殿 一読してわかる通り、この下郡沼願書の内容および構成は、先に引用した宮城県知事伺書のそれとほぼ同じである。この点、名鰭沼願書はさらに顕著で、差出と日付のほか、右の引用の「用水ノ欠乏」が「排水ノ不便」、「冬季ヲ除クノ外」が「毎年一月弐月ヲ除クノ外」となっている以外は、記述はすべて同じである。沼池の荒廃に関する記述で、県知事伺書は「排水ノ不便」としており、また、漁業禁止時期についても1月・2月と記していることからすると、県知事伺書は名鰭沼願書に指定してもらい、住民の銃猟を禁止したい(ただし、漁業については1月・2月を除き継続したい)――以上の趣旨の請願が地域住民より出されたため、宮内省として詮議してほしいとしている。 上で述べられている住民よりの請願とは、同年7月26日付で元涌谷村長涌沢授から宮城県知事宛で提出された下郡沼御猟場選定願書(以下、下郡沼願書)と、同8月11日付で涌谷町長松浦保治・南郷村長安部久馬之允連名で知事に提出された名鰭沼御猟場選定願書(以下、名鰭沼願書)3)のことを指す。前者の下郡沼願書を、以下に示したい。遠田郡元涌谷村長 涌沢授 

元のページ  ../index.html#40

このブックを見る