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研究所概要月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告語学検定講座報告研究プロジェクト報告研究業績39The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Arts狩猟に於ける法律規則の完全ならざる可らざるを細話せらるヽと同時に其海外に於ける銃猟の景況を世に示されたり(中略)本邦の如き今にして狩猟法を設けて一般の取締を厳にし以て鳥獣の蕃殖を務むるにあらずんば一挺の猟銃一円の免税僥倖を山海に求むる惰民は益々多きを加へ実業の廃怠道徳の堙滅田圃山林の荒敗より生命健康の危険等其損する所料知すへきにあらず(中略)同君の憂ふる処即ち是れ余輩の憂ふる処なり、願はくハ政府及ひ各地方の注意に依りて前陳有功鳥類の捕獲を禁じ且鳥獣に依りて其捕獲の期節を異にすること欧米の例の如くし其捕獲の器具にも制限を立て絞喉係蹄の両器網、黐、囮等を以て取る方法ともに時と場所とに依りては禁制を厳重にし、野鳥、山獣の卵雛を取る事も固より之を禁する等濫捕妄獲を制せざるべからず(後略) 十文字は、引用最初の段落で近年の日本における狩猟の状況に関する自身の見解を述べ、次の段落では、自身が聞いたとする青木周蔵の見解にも触れて、鳥獣の乱獲を取り締まるため、狩猟関連法制の整備の必要性を訴える。明治24年10月当時の狩猟関連法制としては鳥獣猟規則(明治6年1月20日太政官布告第25号により制定。同7年11月、10年1月改正)があったが、同規則は銃猟限定の法令であり、銃を用いない狩猟については、事実上、野放しの状態にあった19)。 この法の未整備状況の中で十文字が期待したのが、引用最後の段落で述べられているように、「政府及ひ各地方の注意」による有功鳥類の捕獲禁止と猟具の制限、禁猟時期および地域の設定であった。つまり、「法律」の不足を、省(省令)や地方官(府県令)の「命令」20)によって補おうという発想である。 だが、「法律」たる鳥獣猟規則に鳥獣保護や銃猟以外の狩猟に関する規定がない以上、それを省や地方官の「命令」によって規制するのは、容易なことではない。実際、明治12年9月に内務省が「主上御遊猟之御場所トシテ予テ鳥類繁殖之為メ東京近傍ニ於テ禁猟之箇所御設置相成度」ために東京府・神奈川県・埼玉県・千葉県・群馬県にその候補地の選定を依頼した際には、府県から候補地が上がってきたにもかかわらず、太政官法制局が、禁猟区の設定が遊猟者(特に外国人遊猟者)の反発を招くと難色を示し、計画が一旦棚上げとなっている21)。それから約2年半後の明治15年5月、改めて「御遊猟場」が選定されるが、同所を禁猟区にする計画は、この時点ではなくなっていた22)。 こうした中、禁猟区の設定を推し進めたのが、ほかならぬ宮内省であった。天皇が「御遊猟場」で狩猟を行った際に不猟となるのを懸念した宮内省は、内務省が設定した「御遊猟場」の一部を禁猟区域にして鳥獣の畜養を図り、そしてその区域を「御猟場」と呼んで、「御遊猟場」とは区別した。さらに、明治16年後半になると、宮内省の意向で「御遊猟場」も「御猟場」に改称され、一律で禁猟区と定められるに至った。そして宮内省は、序章で述べた通り、この御猟場設置による禁猟区域の設定を、地域の風致保存に活用していくのである23)。

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