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研究所概要月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告語学検定講座報告研究プロジェクト報告研究業績43The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Arts皇に涌谷御猟場の契約満了解除を奏上し、「御聞済」となる35)。同10日、宮内省より農商務省・内務省へ契約満了解除を照会し、宮城県へは、両省から同18日に農商務省訓令第22号として通達された36)。 宮内省から農商務省・内務省へ送られた照会の文案のカガミには、次のように記されている37)。宮城県下涌谷御猟場之義者、去ル廿五年十月一日ヨリ満五ケ年ノ期限ヲ以テ御設置相成候処、爾後数年間ノ実験ニ依ルニ、同場ハ格別有望ノ場所ニ無之、且本月三十日ニテ右年限満期ニモ相成候間、旁同日限リ御猟場解除相成候様致度、依テ其旨該県ヘ訓令之義、内務・農商務両大臣ヘ左案ヲ以テ御照会可相成哉、此段相伺候 右の文面の内容にそのまま従うなら、宮内省は契約期限の満了と、御猟場としての有用性への疑問から、涌谷御猟場の指定解除を決めた、ということになる。ただ、まず前者については、この明治30年までに設置された御猟場は、基本的に民有地や官有地を期限付きで借り受ける形で設定されており、契約期限が近づくと、宮内省と地域の町村の間で契約延長の交渉を行っていた38)。つまり、契約期限満了それ自体は、契約解除の理由には必ずしもならない。後者についても、涌谷御猟場内での鳥類の繁殖状況について、宮内省側が現地に照会した記録もなければ、現地の側が報告をした形跡もない。また、仮にこれが狩猟場としての有用性についての指摘だったとしたら、そもそもの設置目的とは違う問題を指摘しているということとなる。指定解除は、カガミに書かれていたのとは別の理由から決定したものと見るべきであろう。 実は、涌谷御猟場が設置されていた5年間は、十文字信介が念願していた狩猟関連法制の整備が進められた時期であった。まず、涌谷御猟場設置からわずか4日後の10月5日、狩猟規則が勅令第84号として制定公布された。これにより、銃猟以外の狩猟も規制の対象となり、また、地方長官が独自に禁猟区を設定することが可能になった。 狩猟規則は、枢密院審議から勅令として発令されたことに帝国議会が反発し、公布直後の第4議会から、これに代わるものとして狩猟法案の審議が衆議院ではじまる。日清戦争開戦などもあって審議未了が続いたが、第8議会で衆議院・貴族院双方から法案が提出され、両院協議会での協議・調整を経た結果、狩猟法が明治28年法律第20号として成立した。狩猟法と狩猟規則との最も大きな違いは、狩猟規則で認められた土地所有者による狩猟区の設定に関する条文を、狩猟法ではすべて削除したことであった39)。つまり、狩猟規則には、十文字が危惧していたプロイセンの狩猟監督法に類する規定があったが、狩猟法ではそれがなくなった、ということである。狩猟規則→狩猟法の制定によって、十文字が危惧していた範囲での法の未整備状況は、すべて解消されたといえよう。 狩猟規則・狩猟法の制定は、御猟場の運営にも少なからず影響を与える。狩猟規則が公布されたのち、宮内省は農商務省へ「帝室御猟場之義ハ渾テ従前之通リ相心得、御沙汰ヲ奉シ御猟場内ニ於テ狩猟候者ヘハ、当省ニ於テ相当ノ取締方相設候」ことの確認と、その点の府県への通達を求めた。

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