研究所概要月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告語学検定講座報告研究プロジェクト報告研究業績44The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Artsこれに対し農商務省は、「猟期外ノ狩猟若クハ禁止及保護鳥獣捕獲ノ如キ狩猟規則違背ノ廉有之候テハ、御猟場内ト雖トモ穏カナラサル義ニ有之、且又主猟官以外ノ者ニシテ御猟場ニ於テ狩猟シ、又御沙汰ヲ蒙ムラサル者ニシテ出猟スルカ如キコト有之候テハ不都合ト被存候間、警察上之取締ハ遵奉可被致筈ニ有之候」と返答する40)。すなわち、農商務省は、狩猟規則が制定された以上、御猟場内であっても猟期外の狩猟や保護鳥類の捕獲は求められず、また、主猟官以外の者や天皇の下命を受けていない者(監守などを指している者と思われる41))が御猟場内で狩猟・出猟するのも問題だとしたのである。 この農商務省の考えに宮内省側は納得せず、しばらく両省の間でやり取りが続くが、最終的には26年9月初旬、①御猟場での有害鳥獣駆除・捕獲は6か月を1期として主猟局長から地方庁へ照会を行う、②①のやりとりを経た上で、主猟局の吏員がその期間に鳥獣の駆除・捕獲を行う、③1か月ごとに駆除・捕獲鳥獣の種類と数を御猟場監守長から所在地方庁へ報告を行う、という形でまとまった。この手順は、農商務省が所管の林野で有害鳥獣を駆除・保護を行う際のもの(明治25年農商務省訓令第37号)に準拠した内容であり、宮内省側の事実上の敗北といえるだろう42)。なお、狩猟法制定以降もこの手順が踏襲された43)。 以上のように、狩猟規則・狩猟法制定によって、御猟場内での狩猟の時期や鳥獣の駆除・保護についても、これらの法の拘束を受けることとなった。もはや宮内省が独自に鳥獣保護の動きを取ることは不可能となったのである。この点、涌谷への御猟場設置を働きかけた十文字信介の立場からすれば、御猟場指定の継続をあえて求める必要はなくなったことを意味する。これらが、明治30年という時期に涌谷御猟場の指定解除が行われた理由だといえよう。おわりにかえて 以上、本稿では、涌谷御猟場が鳥類繁殖保護のために設置されたこと、しかし、その設置直後から狩猟関連法制の整備が進められ、かかる目的のために御猟場を置く必要も意味もなくなった結果、同御猟場がわずか5年で指定を解除されるに至ったことを論じてきた。 右の状況を宮内省主猟局の立場からまとめれば、それは、主猟局が明治16年の千波湖御猟場設置以来担ってきた、地域の側の求めに応じて御猟場を設置し、以てその地域の自然環境保全を支援するという役割が終焉したことを意味する。実際、宮内省は、涌谷御猟場が解除となった明治30年から45年までの間に新たに8つの御猟場を新設するが、このうち、地域の側の請願によって設置された御猟場は、京都御猟場の1つに過ぎない。明治16年から25年までに設置された6つの御猟場のうち半数が地域からの請願によるものだったことを踏まえると 、その違いは明確であろう。 果たして宮内庁は、明治30年以降、どのような方針の下で新たな御猟場を設置・運営していこうとするのか。この点については、稿を改めて検討していくこととする
元のページ ../index.html#48