研究所概要月例研究報告ランゲージラウンジ活動報告語学検定講座報告研究プロジェクト報告研究業績68The Annual Report of the MGU Institute for Liberal Artsプロジェクトメンバー:篠崎美生子、渡辺祐子、洪潔清、朱海燕 2年目の2024年度は、2023年度に引き続き、長崎の華僑・華人の方々へのインタビューを実施するとともに、取材結果をそれぞれの研究分野と重ねて公開する活動にとりかかることができた。 まず、3代目華人の大原賢子(陳蘭英)氏には、8月27日に4時間にわたるロングインタビューを行い、1930年代に来日した華僑の一家族の歩みをつぶさに知ることができた。大原氏の祖父は福建(福州)で中華菓子づくりの修行を積んだのち、昭和初期に単身長崎に渡り、新地中華街に出した店が軌道に乗るにつれて家族を呼び寄せたという。ゆえに父母も福建育ちであり、長崎生まれの大原氏をはじめとする兄弟姉妹は、家庭では福建語、中華学校(時中小学校)では北京語を用いるほか、日本語(長崎ことば)も使いこなす複数言語状況にあったようだ。 なお、1945年8月9日には、比較的被害の少なかった長崎南部の中国人コミュニティにも原爆の「真っ黒」な粉塵が降り、誰とも知れない怪我人が運ばれてきたこと、戦後しばらくの間「ひもじい」日々があったことを、当時10歳であった大原氏の世代の方々は覚えているという。しかしそのことを名を出して語ってくれる方に、ほかには出会えなかった。 また、1949年に中華人民共和国が成立し、中華民国が台湾に逃れたことが長崎生まれの華僑にも影響をあたえ、北京にあこがれを抱く人もいたというお話も貴重であった。大原氏は偶然のチャンスで台湾ツアーに参加、そこで案内人を務めた杭州出身の若き軍人との結婚を決意した。ご夫君はその後長崎に渡り、時中小学校で教師を務めた後は、大陸、台湾双方との交流の拠点として、賢子氏とともに活躍を続けている。 不遇にもくじけず、広い視野で未来を切り開いていく華僑・華人(大原夫妻のように日本国籍を取得した方を特に「華人」と呼ぶ)の力を、大原氏の語りは如実に示しているだろう。 次に12月23日には、こちらも2023年度より華僑史について学びを得て来た陳東華氏を講演講師として本学横浜校地にお招きし、シンポジウム「長崎華僑の歴史と展望」(司会:洪潔清)を開催した。陳氏は華人4代目、曾祖父が幕末に福建(金門)から長崎に渡り、長崎華僑を代表する貿易商としての地位を築いたのち、代々貿易のほか、不動産経営等のビジネスによって活躍を続けてきたという。その4代にわたる膨大な貿易の記録、故郷の親戚と交わした書簡等が、戦禍や様々な災害を奇跡的に逃れて陳家に残っており、陳氏は台湾中央研究院と協力してその解析に務め、近々陳家の歴史に関するご著書を刊行予定だとのことである。 ご講演は、貿易商として一時的に長崎に渡ったはずの曾祖父陳国■が、太平天国の乱の影響で帰国できずに長崎での活動を始めたという歴史の偶然への言及から始まり、大量の貴重な資料、写真を投影しつつ行われた。代々の陳家は、故地金門とのつながりを大切に保つ一方、日本人養子を受け入れたり、神戸、横浜、あるいは上海、香港、台湾にも根拠地を拡大させるなどしてきたようだ。その歴史の中でも、日清戦争、日中戦争は華僑にとっての大きな試練の時であったが、既に長崎等に多くの不動産を持ち活動の基盤があった陳家は日本に残る決断をし、今に至るとのことである。研究プロジェクト報告長崎華僑の近現代──排除と融和をめぐって
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